最近、詩人の谷川俊太郎さんと臨床心理学者の河合隼雄さんの対談集「魂にメスはいらない」(講談社+α文庫)を読み始めました。これがなかなか面白い!その中に「時」の概念について書かれている箇所があるのですが、河合さん曰く「ユングは『ヨーロッパの時間というのは進歩と同義語になっている。西洋人はそういうまやかしの進歩によって、汽車をつくったり自動車をつくったりして喜んでいるけれども、イスラム世界の中に流れている時間を考えるべきだ』という意味のことを、1920年ごろ言ってるんです。」と言っていて、谷川さんは「大野晋さんによれば、日本の『時』という言葉は、もともと明治以降の近代化された時間感覚とはまったく違ったものだそうです。そして大野さんは非常に大胆に、「時」は「解く」と同義語じゃないかとおっしゃるんです。」と言っています。それは「ひもがほどける」とか「氷が解ける」とか、そういうふうに日本人は時間をとらえていたという見方なんだそうです。私は日本人なので大野さんの言うことがしっくりくるような気がしました。「時がほどける」「時が解ける」みたいな使い方って、なんとなくイメージ出来ますよね。そしてもっと掘り下げていくと「時」とは様々な色を帯びたシュルシュルした固まりのようなもので、それは赤みを帯びている時もあれば、青みを帯びている時もある。「時」というのは宇宙の中に浮かぶ空間のようなもので、それが曼荼羅の描く「世界」なのかなぁ、と。 これはブータンで見た曼荼羅です。「時」を掘り下げていった時のイメージはこんな感じ。



対談集を読んでいると、あるキーワード拾って途中からどんどん自分の思考の中に入っていきます。そして、自分もそこで一緒に会話をしているような気になります。これが対談集を読む面白さなのでしょうか?


12th/Aug.


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