アフリカから戻って間もなく祖母が亡くなりました。出発前、「まゆさんが戻って来るまではちょっと無理でしょうねぇ」とお医者さんに言われていたので、おそらく祖母は私の帰りを待っていてくれたのだと思います。この母方の祖母とは生まれた時から一緒に住んでいました。だから、沢山、沢山想い出があります。夏になると屋上に布団を敷いてよく流れ星を数えました。春になると山に入って一緒に山菜を積みました。お花が大好きで、我が家の庭には季節ごとに花が咲き、家庭菜園をして、いつも美味しい野菜を食べさせてくれました。
私が生まれるのと入れ違いに祖父が亡くなってから、祖母は二人の娘に囲まれ、結構幸せに暮らしていたように思います。とは言っても、アジアン雑貨屋でアルバイトをしながら庭続きの別の家で、誰に頼ることもなく自立した生活をし、絵を嗜み、毎年海外に旅行に行っていました。そう考えると、当たり前ですが、今の私を作ったのは祖母の影響も多大にあると思います。
亡くなってみると、もっともっと話を聞いておけばよかったなぁ、と思います。
お通やと葬儀は親族だけで行いました。普段ほとんど会うこともない祖母と祖父の親戚が集まりました。初めてお会いした方も数人います。母は鶴田家に嫁いだので、母方の家系図を見た事もありませんでした。でも今回、母方の親戚の中に家系に詳しく、まさにこれから本を書こうとして色々と調べている人がいました。その人の話によると、祖父のひいお爺さんにあたる人がどうやら明治維新の頃、桑名藩から新撰組に入り函館に向かったようです。そして、その人は日本で最後の切腹をした人となったそうです。ちょんまげで袴を着ている祖先の写真を見たのは、初めてでした。この人がいなかったら、私はこの世に存在していないのです。そう考えるととても不思議な感じがしました。自分の父と母の後ろにまた父と母がいて、そのまた後ろに父と母がいて、、、気が遠くなるほど、それは広がっていくのです。そして、その膨大な家系図のどこのパートが抜けても、私はこの世に存在することはなく、、、そう考えると、今、私がここでこうして存在しているのはものすごい奇跡なんだと思えてくるのです。そんな話を、祖母の眠っている横で聞くことはなんともお通やに相応しく、この人をお通やに呼んだのも、実は亡くなった祖母とすでに他界している祖父の差し金なのではないかと思えたのでした。祖母が亡くなったことはとても寂しいけれど、いつか、私がこの世を去る時、三途の川まで迎えに来てくれることと思います。なので、その時まで、お通やで見せられた家系図の一部として、先祖に恥じないよう生きなければと思いました。


13rd/Apr


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