往生 | |
明日から再び、岩手県で「宮本武蔵」の撮影の為、前のり。またまた、ドラマな日々が始まってしまう・・・。あー、せめてもう少しだけ、インドの余韻を楽しみたかったのに・・・。
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凸凹 | |
撮影の合間、吉田日出子さんと人と人との関係性について話をしていた。でこさんは「わかってあげようとするのではなく、いたわりの気持ちを持つことが大事なのではないか」と言っていた。そうかもしれない・・・。
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貯蓄 | |
毎朝早くからロケが始まり、一日中眠たい日々が続いている。それでも、私などはどこででも眠れる性格なので、ちょっとの間にすぐ眠っている。助監督に「トントントン」と起こされると、まるで何事もなかったかのようにリハーサルに向っている自分がいるので、自分でも結構可笑しい。
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虚栄 | |
夕方撮影が終わったので、上川さんと食事に出かける。 |
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天職 | |
首藤康之さんの「ボレロ」を見に行く。普段の首藤さんからは想像も出来ないほどの色っぽさと大胆さというオーラが出ていた。「ボレロ」は曲もいいし、舞台の構図もとても美しい。依然、ジョルジュ・ドンの「愛と哀しみのボレロ」という映画を見に行って、その、あまりに素晴らしい踊りに胸を打たれ、映画が終わってもしばらく動けなくなってしまったことを思い出した。「これぞ芸術で、これが天才というものなんだ・・・。」その頃お悩みモードに入っていた私は打ちひしがれたまま友人の家に行ったら、「あのねー、天才だって努力してるのよ!その100分の1も努力していないくせに、いい加減にしなさい!!」と怒鳴られたのを思いだす。
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平穏 | |
音楽家の半野喜弘さんが出来立てのCDを送ってくれた。パリの有名なセレクトショップ「コレット」のようだった。何だか、おかしな例えだが、それは時代の最先端を行きながら古典的要素もどこかできちんと残っているような、デジタルでありながらアナログ的なものも感じるような、そんな感じだ。『plat form』という映画のサントラの曲などはキューンとするような情感も漂い、今日一日家でボーッと聴き入ってしまった・・・。
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神音 | |
友人からメールが届く。
「ナーダ・ブラフマン=神は音なり。」先日、インドでチベットのベル(11種のメタル)とシンギング・ボウルを購入した。こころが澄んでいる時に奏でると、まるで宇宙音のよう。どうして、こんなにココロが振るえるのだろうか??? やはり、神がいるからだ・・・。 |
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騒音 | |
本郷のお屋敷にて撮影。けれども、近くで運動会をやっていたせいか歓声がうるさいくて撮影にならない。そして、それだけでなく、飛行機の音や車の音、焼き芋やの呼びかけなど、次々と音はやってくる・・・。つくずく、東京という街は騒音の嵐だと思った。
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故郷 | |
アフリカ帰りの友人と食事を共にする。アフリカの虜VSインドの虜。お互いにまるで故郷の自慢をするかのように話はたえない。そして、どちらもそこが自分の懐かしの地であると思い込んでいる(笑)。お互いにそんな魂の落ち着き場所に出逢えたことは本当に素晴らしい!!
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物欲 | |
部屋のかたずけ。どうして、こんなにモノが多くなってしまったのだろう?昨年の暮れに大掃除をし、かなりいろいろと処分したはずなのに・・・。捨てても、捨てても増えてゆく・・・。コレって意志薄弱ってこと???
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修業 | |
ダラムサラよりタンカが届く。ワーイ、ワーイ!! |
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集中 | |
昨日、タンカ絵師の馬場崎さんは、タンカを描く前には必ず瞑想をすると言っていた。私も今日から日本舞踊の舞台に向けて稽古が始まったので、とりあえずタンカの前で精神統一をしてから出かけた。
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潔癖 | |
数ヶ月ぶりの稽古で腰が入らず、体動かず。舞の稽古をしていると、つくずく生きている限り肉体と精神は切り離せないものなのだと実感。と、言うことは精神状態をよくしようと思えば、当然体のことにも気を使ってあげなければならない。早寝、早起き、三食きちんと自然食!! 舞の稽古が始まってから、私の生活はもの凄くちゃんとしている。
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緩急 | |
「居所、為所」ー今日お師匠さんから、舞台で大切なことはこの「居所、為所」であると教わった。おそらくこれは、人生という舞台でも大切なことで、これをはずすと"間の悪い奴"と言われてしまうことになる。
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天性 | |
日舞のお稽古に行ったら大竹しのぶさんが来ていた。今度の舞台で大竹さんは「雪」という舞を舞う。この演目は私も大好きなもので、とても切なく、美しい。愛する人の幻影を雪の中追いかけ、最後には観音様になっていく・・・というお話だ。初めて、大竹さんの舞を見た。 |
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膝笑 | |
久しぶりのお稽古が続いているため、かなりの筋肉痛。きっと、舞台が終わる頃にはゾウのように足がたくましくなっているに違いない。
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長生 | |
今日のお稽古も大竹しのぶさんと一緒だった。民放の連ドラ&NHKの朝ドラの撮影中なのに本当に偉い。私はとても不器用なため、同時にいくつものことが出来ない。だから、やりたいことはいっぱいあるのに時間が足りなくなってしまう。もし、人生の中でやらなくてはならないことの分量が決まっているとしたら、私はきっと長生きだろうなあ。
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健康 | |
秋のせいか、毎日動いているせいか、ここのところ食欲大性。なんだか健康的な毎日。でも、私の足はいよいよ疲労度"D"に達している。
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空間 | |
ヘアーメイクをしている友人がアトリエを設けたというので遊びに行く。自分たちでペンキを塗り、トンカチやって内装したらしく、とても気持ちのいい空間になっていた。自分たちの居心地のいい空間は自分で創らないと、この都会でやっていくのは結構大変だ。
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飛行 | |
ロンドンに住んでいる友人から画集が届いた。これはラサのルハン寺の壁画集で、代々ダライ・ラマのみが見ることを許されてきたものらしい。そして、ダライ・ラマが深い瞑想で見るであろうビジョンの絵だという。今夜はこの絵を夢に持ち込んで、ラサまで旅することにしようっと。
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感謝 | |
仕事仲間や友人から次々と日本舞踊の舞台の出欠が届く。「楽しみにしています。」と出席のお知らせが来る度になんだか嬉しくなる。その思いが、お稽古をさぼりたくなる怠け心に鞭を打つ。がんばろーーっと!!
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精進 | |
なんだか、お稽古に気が入らず・・・。ちょっとした出来事によって乱された精神状態が諸に出てしまう。それが舞の恐い所でもあり、面白い所でもあるのだけれど・・。しかし、そんなことでボロボロになってしまうようでは、まだまだアマチュア・・・自分の精神力の弱さにホトホト呆れる。
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願望 | |
「ab road」にてインドの取材。インド通のインタビュアーに言わせると、私のあの電車の中での幸福感はずーと続くと「多幸症」という病名が付いてしまうらしい。なんだか、大きなお世話!!という気もするが、確かにあの幸せ感が続くと現実に戻れなくなってしまうような気もする・・・。でも、出来ることならあの幸福感はずーーーっと続いて欲しい・・・。
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天使 | |
時々、インドから私のココロに郵便物が届く。 |
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哀願 | |
針に行く。疲労度"D"の私の足はすでにピークを超え、 |
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宿題 | |
ロンドンに住んでいる友人から"教材"が届く。先日はニューヨークに住んでいる友人から"教材"が届いていた。あーーーー宿題がいっぱいだーーー!!!!やらねば、やらねば・・・この"教材"は今後の活動にとっても必要不可欠なモノ。この忙しい最中、いったいみんなはいつ勉強しているのだろう???きっと、頭のいい人達は聖徳太子のように一度に幾つものことを同時進行出来るに違いない。時々、本当に、どの人にも同じように一日は24時間なのだろうか、と考える。
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必見 | |
『キャラバン』という映画の試写会に行く。塩を運ぶ為にヒマラヤ山脈を越えて行く、村人達のドラマを描いている。とても壮大な素晴らしい映画であった。ヒマラヤの山岳に住む人々は"生きる"とはどういうことなのかを知っている。だからこそ、あんなに崇高な目をしているのだろう。この映画には神様からのメッセージが沢山散りばめられていた。必見。
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踏張 | |
国立劇場にて明日の舞台のリハーサル。体調今一、足ガクガクで意識がフラフラしていた。どちらにしても明日終わる。たった15分足らずの一回公演。だからこそ上手くいったときにはとてつもない緊張感のもと、最高のエクスタシーを感じることが出来るのだろう。7時近くにリハーサルが終わった後、今夜家で練習するにあたっての注意点をお師匠さんに訪ねると、いろいろとアドバイスをしてくれたのち、11時過ぎだったらお稽古場に戻っているから・・・と言ってくれた。私もけっこう粘り強いが、最後の最後まで手を抜かずにつき合って下さるお師匠には、やはり頭があがらない。 「ここまでと思ったら、そこまで、 |
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精進 | |
舞台当日。うーーーーん、今一不満足な舞台に終わってしまった。たった10分足らずの舞台なのに、どうして全神経をそこに集中できないのだろうか?やはり、精神力が足りないのだと実感。またまた、精進の日々が続く・・・。
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必修 | |
人生の中には、時々どうしても避けられない「必修科目」が転がっている。快楽主義者の自己防衛の強い牡牛座の私にはこの「必修科目」を拾得するのはかなり辛い作業なのだ。拾得するどころか、自分の時間割に組み込むことにすら拒絶反応がある・・・。でも、<超>快楽主義者の牡牛座は「必修科目」の向こう側に快楽があることも知っている。
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平行 | |
以前NHKスペシャルでやっていた「チベット死者の書」を見る。「チベット死者の書」とは簡単に言うと、死に行く人を死に向かって、そして死んでからの49日間、バルドという死語の世界をナビゲートするための密教の教典である。密教の教えでは、人は死後49日後に再び生まれ変わってくるらしい。その「死者の書」のナビゲートの内容を聞いていると、まるで此の世の生をナビゲートされているようでもあり、ちょっぴり複雑な思いもした。もしかすると、あの世も此の世なのかもしれないと思ったら、なんだか死んでからも大変なのではないかとちょっぴり憂鬱になった・・。
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