mayu tsuruta | yukio ninagawa
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  とのシンクロ欲求

30数年間の去来
tsuruta  舞台("真情あふるる軽薄さ")が終わってみてどうですか?
ninagawa  なんか寂しいような・・・意外と開放感がなくってねえ。この作品は自分が始めて演出家になった時の作品だから普通の作品よりもいろいろな思い出が詰まっているんだよ。だから、何だか物悲しい様な・・・これまでの30数年間が去来する様な・・・。当時、屈辱的な体験が一杯あったんだよね。この戯曲をやる為にボクは劇団を辞めたんだけど、制作の人とかに仕事を頼んだりすると必ず「誰が演出するの?」と聞かれて。「ボクです。」というと「エッ?演出出来るの?」なんて言われてねえ。まあ、当たり前なんだけど。始めてなんだから。それでも「出来ると思いますよ。」なんて言って頼んだりして。それからアート・シアターに行って、そうそうあそこには路地があってね、鉄子にガラスのドアがあって、そこを叩いて入って行くんだけど、「ここの劇場でやりたいんですけど、やらせて下さい。」ってそこを入って行ったら「企画は何があるんでか?」って聞かれて「3本持っているんですど」と言って渡したら「じゃあ、清水さんのでやりましょう。」って言われたんだよね。自分の足で全然知らない所に入って行っていきなりそんなこと頼んだりして・・・考えてみれば若かったからそんなこと出来たんだね。そんなことが次々と思い出されちゃって、やっぱり今までの芝居が終わったときのような感覚とは少し違うんだよね。随分いろんなことあったなあ・・・って・・・。この当時、もちろん今の奥さんもいたんだけど、蟹江(敬三)がいたんだよね。蟹江がいれば劇団作れるな、と思った。あいつは若いときからテレビの仕事なんか降りちゃって、蜷川さんと仕事をするなんて言ってくれたからね。


t  その当時、いくつだったんですか?
n  30才。若い頃から生意気でね(笑)。当時、清水の戯曲をやる為に200萬円借金して、稽古場借りたのにいきなり清水がこの芝居を一年間やらないでくれ、って言い出したんだよ。ボクはその芝居を開けるために辞めたのにさあ・・・。たぶん、ボクの才能に対して不安だったんだと思う。それで、すごく傷付いたんだよね。ボクは清水の芝居をやるために辞めたのに、一緒に心中してくれないの?って。仕方がないから一年間違う芝居の稽古をして、一年後にそろそろやっていい?って聞いたらいいよ、っていうことでやったんだよ。その時に、自分で自分の才能を証明していかないと他人をオーガナイズ出来ないんだな、って思ったね。・・・なんか、ボクは心中しようって誓い合って、逃げられた男みたいだなあ(笑)。作品は好きだけど、人間が嫌いになることがあるんだよ。でもそれが嫌で、それを乗り越えるためにはどうしたらいいんだろう?って考えた・・・そうしたら、日常生活でつき合わなければいいんだ、って思ったんだよね。作品だけ。だから、ボクは今だに稽古や本番が終わった後にみんなと出かけたりしないでしょ?それはこの時のトラウマ。もうずっと・・・。いい作品だけを創り続けようって誓ったんだよね。その時に。それほどショックだったんだよ。だってボクが22才で向こうは21才位の時に知り合って、あの二人は出来ているんじゃないかって言われるぐらい仲良く一緒に仕事をしてきていて、それでそういうことを言われちゃったから、ボクは本当にショックだったんだよ。なーんて、こんな話は今は知らん顔をしながら話しているけどね。若いときのそういう出来事って、残ってしまうんだよね・・・。そういう思いをしたから意固地になちゃったんだね。ATGの頃って映画が終わると20分位で芝居が始まるの。映画館だから当然楽屋なんかもなくて、いるところがないから歩道の鎖の所に腰掛けて映画が終わるのを待っている・・・。それで、芝居の評判が良くなってくるとそこに「**新聞ですけど・・・」ってジャーナリストが来るようになる。それまでは、もちろん一行も書いてくれないんだよ。それでも、お客は沢山来て評判はよかったんだけど。ある批評家なんてボクに向かって「まぐれじゃないのかなあ」なんて言ったりする。それでも、どんどん評判が良くなって、その時に「そうかあ、作品が良ければこうやってみんなが集まってくれたり、良く書いてくれたりするんだなあ。」って思ったんだよね。その時の、鎖に座って見ている風景が絵のように鮮明に残っていて、やっぱりいい作品だけを創ろう!!って頑なに思ったね。



才能と人間性の関係
t  私は人間的に美しくないといい作品は創れないと信じているんですけど・・・。
n  違うんだよー。


t  美しい人ってただの美しい人ではなく、ココロの綺麗な人。たとえどんなに悪くても、どんなに暴力をふるっても、どんなに嫌な奴だと思ってもたまらなくココロが綺麗だなあ、って思えるような人もいますよね?そう言う人じゃないと素晴らしい作品は創れないと私は信じたい・・・。
n  俺ね、俳優やっていて凄く嫌だったのは、何であんなに嫌な奴が上手いんだろうって思ったからなの。何で人間的にはいいと思った奴がこんなに下手なんだろうって思ったりね・・・。人間って本当に悪魔のように不合理なものだなあって・・・。こんなに悪魔のように嫌な奴が何でいい作品をやったり、残したりするんだろうって・・・。作家だってね、有名な劇作家で嫌な奴でケチなんだけど、イメージだけ聞いていると凄くいいの!!


t  そういうのってありなんですか?
n  あるんだよ。それが辛いんだよ。


t  そんなの許せない!!
n  ボクはさーそういうことにとても傷つくんだよ。別に自分もそんなに美しい人間だとも思っていないけどさ・・・。才能と人間性って比例しないんだよ。


t  そうなのかなあ???
n  そうだって!!


t  どんなに嫌な人でも・・・うーん、例えば悪魔なのに天使っていう人達でもないんですか?
n  それはどうかな???


t  だってピュアじゃない人に人のココロを打つような作品が書けるのかなあ?
n  だから書けるということもあるかもしれないよ。うーん、ボクが歪んでいるのかなあ?ボクはそういうことをバネにしてきた不幸な人なのかもしれない・・哀しいことに。だから人に対する憧れがすごく強いと同時に、作品を通してのコミュニケーション願望が強いんだよね。だからコミュニケーションする場がすごく熱くなるの。それは日常生活ではそう言う風にしていないからなんだよね。作品が熱くなるのはそのせいだね。願望なんだよ。でも、才能と反比例するような光景というのは一杯見て来たなあ・・・。人間ってそう美しいものではないよ。


t  私も人間が美しいものだとは思っていませんが、せめてモノを創る人達はその瞬間だけでも美しくあって欲しいなあ、と思うんですよね。これはまったく個人的な願望ですけど・・・。


n  それはすごくわかるよ。本当に凄い人って人間的にも凄く出来ていて、とてもフランクな人が多いよね。そういうこともわかる。でも、そう言う人じゃない人もいる、っていうことかなあ。


 

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