mayu tsuruta | ryuichi sakamoto
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原始的欲求としての音楽活動
tsuruta  学生の頃からずっと作曲をしているわけですが、作曲とは坂本さんにとって何ですか?
sakamoto  基本的には自分がこういう音が聞きたい、弾きたい、という原始的な欲求かな。

t  そういう欲求は主にどんな時に生まれるのですか?散歩をしている時とか、恋愛している時とか、逆にそう言うこととは全く関係なくある塊のようなものが突然降りてきてしまうとか?
s  対外的な何かはあまり関係ないかもしれないな。何かにインスピレーションを受けてということではなくて、そういうことはあくまでも引き金にしか過ぎないよね。だからそういうものがなくても書けるときは書ける。でも、最近なんで曲を書いているのだろう、と考えたりするんだよね。今日もそんな事を考えていたんだけど・・・。

t  音楽家・坂本龍一とは人間・坂本龍一にとってどういう存在なのですか?
s  完全に職業だよね。社会的な立場としての。だから個人としての坂本龍一とは全然違う。こういう音を響かせたいという欲求はいつもあるんだけど、同時に一方でそれはもう聞いたことがあると思っている。過去の何かに似ているとか、それが自分のものでなかったにしても。やっぱり、一応プロで何十年も注意をはらってきているから、さっきも言ったように聞いたこともない音が少なくなってきているよね。人の何十倍も神経を尖らせているわけだし。世界には無限に響きがある訳じゃないから・・・イヤ、無限に響きはあるのかもしれないけど、我々の暮らしの中ではある程度限られているよな気がするから常に何かを書きたい、響かせたいと思っていてもそこにジレンマがあるんだよね。本当に新鮮なものじゃないとやっても無駄だと思っているから。最近は人のものを聞いていてもそんなに驚きはないよね。いつも、いつも驚きたいから若い頃なんかは特に夢中になって新しい音楽とか異文化の音楽を沢山聞いちゃったりしたから余計に。ただ、聞き方も変化しているから以前はひっかからなかったものがひっかかるようにはなっている。古典文学なんか読んで若い頃はひっかからなかったところが年をとるとひっかかってくるってことあるでしょ?そういうのはあるかもね。最近ビックリしたことの一つはチェリストの藤原まりさんの演奏を聞いて。同じドと言う音がここまで違ってしまうんだ、ということに驚いた。今までは演奏にびっくりすることなんてなかったんだよね。唯一グレングールドぐらい。作曲家にとって、書かれている物とその演奏は全く違うもので、例えば演奏の場合にドという音は演奏者の上手い下手や解釈の違い、楽器の善し悪しも含めて無限にあるけど、書かれているものにはドという音は一つしかない。作曲者にとって興味があるのは書かれている物なんだよね。

t  坂本さんは作曲も演奏もなさいますけれど、自分自身も演奏している時より作曲をしている時の方が興奮するんですか?
s  そうだね。


t  自分が書いたものが演奏家によって全く変わったものになってしまう、ということに対してジレンマを感じる事はありますか?
s  もちろんあるよ。譜面通りに弾いてくれてはいるんだけど違和感を憶えてしまうような。ただ、譜面というのは完璧には伝えられないものだったりするから、それはジレンマではあるけど、同時に新鮮だったりもするよね。でも、世界で初めて新しい曲が演奏される時にはやはり自分の演奏で披露したいという思いはある。


t  作曲家・坂本龍一が演奏家・坂本龍一にダメだしすることはあるんですか?
s  あるよ。CDを録音しているときに演奏し終わったものを今度は作曲家の耳で聞いたりするとダメだな、と思う事はある。でも作曲家の頭で演奏してしまうのはやはりダメで、演奏しているときには演奏者になりきらないと、と思っている。そうだ、聴覚ということでいうと、今まで48年間生きてきた中で二人だけ自分よりも耳がいいと思った人がいたんだよね。一人は高橋悠治という作曲家でありピアニストで、もう一人はアメリカ人のジェイソン・コルサロというミックスとかをやるエンジニア。この二人の聴覚というのは全然違っていて、高橋悠治さんの耳の良さというのは雨の日にアットランダムに雨粒がぼたぼたと落ちてくるでしょ、それが葉っぱからだったり、屋根からだったり、軒下からっだり・・・いろんな早さで、いろんな強さで、その時の風の状態や雲の流れでその音色が変わってくる。ふつうの人はそのランダムに降ってくる状態をただザーーーっという音で著すかもしれないし、嵐だったらゴーーーっという音で現すかもしれない。けれども本当はその中にとても複雑な音響が入っているわけでしょ、木がたなびく音とか、葉っぱが揺れる音とか、電線がヒューとなる音とか、しかもその音は刻々と変化している。高橋さんという人はそういう音を総じて認識し、譜面にまで書けてしまうような恐ろしい人なんだよね。そして、もう一人のジェイソンと言う人は犬の耳ともいえるような耳を持っていて、人には聞こえない周波数のようなものまで拾ってしまう。人間という動物に聞こえる周波数の範囲というのはだいたい決まっていて、下は20ヘルツ位から上は20キロヘルツ位まで、そして犬は50キロヘルツ位まで聞こえていると言われているんだよね。だからその間の30キロヘルツというのは犬には聞こえて人間には聞こえない領域のはずなんだけど、どうやらジェイソンには聞こえているんじゃないかと思う。でも、レコーデイングなんかしているとジェイソンには聞こえていないのに僕には聞こえている音とかもあったりするので、僕とは質が違うのかもしれないね。それはたぶん後天的なものではなくて、先天的なものなのだと思う。


t  坂本さん自身も小さいころから"聞こえる"ことが当たり前でいて、人とは違ってヘンだな、と思ったことはありますか?
s  そうだねー。例えば、玄関から誰かが入ってくる時などは、その前からわかっていて、それを両親などに伝えても気付かなかったり・・なんてことはあったかな。そうそう、地震の振動っていうのは20ヘルツ以下なんだって。20ヘルツとはどういうことかというと1秒間に20回振動するということ。自然界には無限にこういった振動があって、例えば1回の振動が5秒もかかる振動だってある。でも、それは人間には感知出来ない振動だよね。でも地震の起こる前などにはこの様な振動が起きる、だから動物なんかが前の日から騒ぎ出すんだよね。ねずみが逃げたりとか犬が泣いたりとかナマズが騒いだりとか・・。でも人間にはそれを感知する感覚器官がないんだよね。でも、それは僕にはあるのかもしれない。


t  それは音という形で聞こえてくるのですか?それとも、感じる、という事なのですか?
s  うーーん・・・例えばレコーデイングの時なんかにジェイソンと僕が「あそこのノイズがうるさい」などと話していてもアシスタントの人達には聞こえていないんだよね。


 

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