mayu tsuruta | ryutaro kaneko  3/3 +profile
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我表現ではなく自己表現を
 
kaneko  人間でも、拒絶されながら接しられるとこっちまで何だか拒絶してしまうでしょ?でも、優しく接しられるとその人を信じる信じないは別にして、こっちまで優しい気持ちになってくる。太鼓も一緒で、力で叩くと叩き返されちゃうんだよね。
tsuruta  力で叩き、叩き返されることが面白い時期もあった?なんか、そういうことがパワー!!みたいに思っていた時期。
k  うん、あったよ。モノを創るってぶつからないと始まらないでしょ?みたいに思っていた。でも、ぶつかって何をしていたかというと結局、お互いのエゴとエゴがぶつかっていただけで、相手の本質と結びつこうという発想はしていないんだよね。結局、自分のエゴを吐き出し、満足しているという状況だから、ちっともコラボレーションになっていない。形としてケンケンガクガクやって、ある形を作って満足していたような気になっていたけど、、、まぁ、当時の自分の認識としては“それでよし”だったんだよね。でも、自分が体を壊したりとか、色々なことがあって、自分って何だろう?とか、音楽でやれることってなんだろう?とか、人と接するってどういうことなんだろう?とか、モノを創るってどういうことなんだろう?とか、そういうことを考えるようになった時、今までやっていたのは“自己表現”じゃなくて“自我表現”だったな、と思ったんだよね。


というツールを通して見えるもの
t  音楽って何だろう?って思った時にどういう答えを出したの?
k  答えはやっぱりわからない。ただ、一つだけ言えるのは、今まで色んな国の人とセッションしたり、色んな人の前で演奏したけど、音楽は人と繋がり易いツールであることは確かだね。
t  それは今回一緒に旅をしていてものすごく感じた。音楽って最初からコトバを越えた所に存在しているから、“時間”が早いんだよね。例えば映画や演劇なんかで2時間かけて伝えることを、音楽なら一瞬で伝えることが出来る。
たった数秒、数分であるテンションまで持って行くことが出来るんだよね。それはいつも羨ましいなぁ、って思う。
k  後は自分の中の無意識と繋がるためのツールにもなるんじゃないかなぁ?とは思う。だから相手と繋がる、自分の無意識と繋がる、そして相手もまたその人の中の無意識と繋がれる、というツールにはなるかもね。
t  そうだね。
k  だから、両方の扉を開くためにもいいツールなのかも?両方の無意識が流れ出したときに一体感も生まれるしね。
t  よくどんなお芝居をやりたいですか?なんて聞かれることがあるんだけど、今イチ上手く答えられなくて、いつも、“よくわからないけど涙が出ちゃった”とか“エンディングロールが流れてもしばらく席を立てなかった”っていうような余韻を感じることができる作品に出演出来たら凄く嬉しいです。なんて答えるんだけど、それはやっぱり無意識の状態にまで何かが降りて来て、それによってココロの扉が開かれてしまい、その中にあるものが流れ出して反応してしまった、ということなんだと思う。やっぱりそういう作品に携わって行きたいなぁ。そういう作品に参加出来てこそ“何か”を表現しているという場所にいることの意味だと思うんだよね。でも、まぁ、そこに行くためにはまず自分がそこまで行けないとダメなんだけど・・・。
k  そうなんだよねぇ。
t  人のそう言う部分にアクセスするということは、まず自分がそういう状態にならないとダメなわけじゃない?こっちがオープンハートになっていないと、向こうもオープンハートになれない、というのと同じことで。それは結構大変なことだよね。
k  そうだね。そのためには自分の中で色んなことをクリアしていかなければならないからね。すごく辛い思いもするだろうし、哀しい思いもするだろうし・・・自分の壁と突き当たった時ってみんな辛いからね。
t  そうだね、見たくないものを見なくてはいけない時もあるしね。
k  そういうことって人生の中で何度も何度もあるよね。
t  そう言う時はどうやって乗り越えてますか?


の壁の乗り越え方
s  ははは・・・(笑)。前は手当たり次第、盲滅法、闇雲にもがいていたけど、でも、さすがに何回かそういうことがあると学習して、無理に状況を変えようとしなくなるよね。例えば、周りの状況が自分にとっていやな状況だったとすると、それを無理に変えるのではなく、まず自分がこうなったらいいな、と思う人になるようにする、、、というか。で、そうしている時って”いやな状況”の”いやな”からフォーカスは外れるから、そういう感情はいつのまにか消えていたりするんだよね。だから自然と”状況”を見つめることができるので翻弄されなくなってくる。だから、まず自分はどうあるべきか、ということにフォーカスしていけばいいんじゃないかなぁ?まずは、自分が今、どこにフォーカスしているのかきちんと知るべきだよね。自分が何かにぶつかった時ってとっても感情的になったりするでしょ?でも、その感情に持って行かれないで壁そのものを冷静に見るってことかな?
t  どうしてこの壁にぶつかっているんだろう?ということを客観的に、冷静に見るってこと?
s  そうそう。本当にその壁を乗り越えたかったらマインドから自由になっていかないと“癒し”にならないよね。
t  “癒し”ってなに?最近、色んなところで使われ過ぎていて、本来の意味がわからなくなっているように思うんだけど。
k  ちまたで言っている“癒し”は“慰め”というコトバと混同しているんじゃないかな?と思う時があるよね。“同情”というコトバに近いというか・・・。
でも、本当の意味での”癒し”って、癒しを必要とさせた状況を乗り越えて、そこから自由になるってことだからね。


界の行く末
t  今、世の中を見ていて、みんながどういうふうにどこに進んでいるように見える?
k  なんだかんだ言っても“自然に戻る”と言う方向に動いているじゃないかな?と思うんだよね。それも一つの自然の法則というか。自然から離れることによって、あ、人間も自然の一部なんだ、って感じることがあるだろうし。もし、本当に平和に向かおうとすると、その前に平和とは反対のことが沢山起きるだろうね。そうしないと地球規模で人間は“平和”についてわからないんだろうと思う。コントラストが強くならないと、向こう側の色は見えないからね。今の時点でもうtoo muchだ!と思うぐらい、それを感じている人もいるかもしれないけど、まだまだかな?と思う人もいるわけで・・・。だから、これからも色んなことが沢山起きてくるかもね。自分のことを考えるとさ、体を壊す位色んなことをしてきて、やっと体を緩める=自然に沿う、なんてことを考え出したわけじゃない?だから、そう考えると、そういう展開も仕方がないかな?と思うんだよね。
t  そうだね。でも、もし、多くの人がそれに気付かなかったら人類は終わってしまうかもね。
k  そう、だから結局“自分”だけでは幸せになれないってことなんだよね。
 

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