mayu tsuruta | ryutaro kaneko  1/3 +profile
| top | dialogue |
 
 
鶴田真由 x 金子竜太郎

ココロと体の関係

みと幸せ感のヒミツ
tsuruta  竜太郎さんはココロと体の研究をしているので、今日はそんなお話から進めたいと思っています。こないだ一緒にボディーワークのクラスに連れて行ってもらって、実際に体験してみて面白かったのは、体が緩んでくると皮膚のカンジがどんどん変化していって、ココロの面でも“幸せ感”が増してくる。とっても不思議な感覚でした。
 
kaneko  それはココロと体が繋がっているということを“体験した”ということの一つだと思うんだけど、ボディーワークの一番核になっていることは“緩み”ということ。緩んだ時に体がどう変化していくかということを確認しながら進めて行くワークだったでしょ? で、緩んだ相手の体を持ち上げたりするとすごく重く感じるのに、本人は楽で安定感が増していったりとかっていう変化があったんだけど、同時にさっき言っていたような幸せ感を感じたりとかいう変化も起きてくる。これはココロと体が繋がっているという一つの証拠にもなるんだと思うんだよね。で、幸せ感というのは僕が思うに、自分と他人とが繋がったという実感なんだと思うの。何かと繋がる時って、自分がオープンになっていないと繋がらないよね?でも、“それでは、心を開きましょう!”って言ってもなかなか普通は出来ないもの。だからああやって、ボーディーワークで体を緩ませることによって心も開かせて行くわけ。そういうことで“繋がり感”を感じることが出来るようになり、その“繋がり感”の実感が“幸せ感”なんだと思うんだよね。じゃあ、なんでそういうことで“幸せ感”を感じるのかと考えると、たぶん本当の自分の姿に近づいたからじゃないかなぁ、と思うわけ。どういうことかというと、自分はこの体の中に閉じ込められただけの存在ではないということ。実は、色んなモノや人と繋がっている。そして、その繋がり全体もまた自分である、っていうようなことなんじゃないかな?という気がするんだよね。だから、元々のその形にちょっと戻ったと感じられる瞬間だからこそ、幸せだと感じるんじゃないかなぁ?と。もし、それが自分のことじゃなかったとしたら、それは違和感になるんだと思うんだよね。
t  自分らしいって一体どういうことなんだろう?って頭で考えてもなかなかわからないことで、そうやって“体感”することによって初めて理解が深まっていくんだろうね。芝居もそうだし、音楽のセッションなんか見ていてもそうだけど、上手くいっている時って、今話していた“繋がっている感”を感じるよね。それってどういう状態かな、って考えると、みんなが自分のことではなくて作品のことを一番大切に思っている時とか、きちんと相手のことを思っている時とか、そういうことを全部含めた全体のことを思っている時にそういう科学反応が起きやすいんだと思う。だから、舞台前とかライブ前とかに、みんなでああいうワークをするといいよね。
k  そうだね。
t  体が緩むとつまりがなくなるから声の出方も変わってくる。竜太郎さんの太鼓を打っている姿を見ていても感じるけど、無駄がないし、反応も早い。その時の色んな状況に臨機応変に対応出来るようになるんだと思うんだよね。ライブなんてその瞬間瞬間変化していくわけだから、いかにそのことに柔軟に対応していかれるかが重要になってくるじゃない?そういう時の適応能力が高まるように思うんだよね。


間瞬間の拾いもの
k  中途半端に作り過ぎて失敗することがよくあるんだけど、それは作ったことをきちんとやろうとしちゃうからなんだよね。だからその瞬間に起こったことが拾えなくなってしまうというか・・・。そうなっちゃうとコラボレーションのような雰囲気ってあまり創れなくなっちゃうんだよね。だからそうならずにセッションを上手くやろうと思ったら、やっぱり自分をオープンな状態にしておかなければならない。
t  音楽と芝居って、そこに起こっているやり取りは、ものすごく似ているって感じるんだけど、決定的に違うなぁ、と思うは音楽の方が言葉がないぶんより直接的なカンジがするんだよね。芝居はやっぱり脚本という“コトバ”のフィルターが一枚入るから、頭を通さなくてもその台詞が言えて、決まり位置に動くことが出来るようになるまで練習しないと瞬間を拾う余裕が生まれてこない気がするというか・・・。
k  わかる、わかる。音楽でもかっちり決まったものもあるから、そう言う時は自分の中にきっちりと取り込んで、自分のものとして出して行かれるようにしないとダメだよね。たとえば、他人が創った曲だったり、芝居の伴奏だったり、というのは本当に創り込んであるから、自分がそれに負けてしまうとダメなんだよね。まるで自分が創ったかのようにならないとダメだからね。だからそういう曲の場合は自分も研究するよ。さっき、話したのは即興の場合ね。でも即興とはいえ、1時間やりましょう!なんていう場合は“僕は太鼓を叩く人”なんていう決まり事以外にも決まり事を創る場合があるのね。例えば、演奏の1時間内で“これ”と“それ”と“あれ”と3つは必ずやりましょう!なんていう場合。それをいつどこでどんな形で出すかはわからないんだけど、そういうルールのようなものを敢えて作る場合もあるわけ。でも、これは非常にアバウトに作るんだよね。だからこれまたその3つを従順にやろうとし過ぎちゃうと失敗してしまう恐れもある。もしかしたら3つのうち一つしか出来ないかもしれない。でも、もうそれはしょうがない。それでいいわけ。そこらへんの、無限に行けるんだけど、3つの石は必ず踏んで行く、でもダメだったらしょうがない、っていうような、どこまでが決まりで、何処までが決まりじゃないかなんていうのはとっても曖昧なんだよね。

でもね、出来るだけなくして、なくして、なくして、、、という方向で行くと、最初は自由に出来て面白いなぁ、と思うわけ。僕自身のことでいうと、普段は鼓童っていうかっちり決まった世界でやっているでしょ?でも、それが外れて、着るものも違う、叩き方も違う、場所も違う、シチュエーションも違う、、、なんて形でやっていくと、最初は楽しいんだけど、何回か重ねて行くと外側からくる型がない分、自分の持っているスタイルというものにぶち当たっちゃうわけ。それがめちゃめちゃ不自由だったりして・・・。(笑)本当に、それは苦しかったね。
t  それはソロになった時のこと?
k  そう。本当のimprovisation (=即興)って自分の型からほんの一瞬出れるか出れないかのところにあって、その瞬間が本当の意味でのimprovisation (=即興)の美味しいところなんだということがわかったんだよね。だから外側の決まりごとがないから決まり事がないなんていうことはやっぱりなくて、自分の中で超えなければならないことっていうのをちゃんと見据えていないと、ありきたりなものになっていっちゃうなぁ、って。で、それを超えるために“緩み”というものが自分の中に必要になってきたわけ。自分がオープンにならない限り、絶対に自分の壁は越えられないからね。どっちにしても緩みは大きなキーワードだよね。
t  そういう緩むための作業を定期的に続けて行くと、急激にがくんっ!と大きく緩んだなぁ、って感じる瞬間があるでしょ?それは自分の人生の中で急激に何かが外れる瞬間っていうか、そういうことを実感出来る瞬間というか、そう言う感じのことなんだけど、だいたいそう言う時って精神的なこととものすごくリンクしているよね。
k  そうだね。


吸とイメージの活用法
t  この前いったワークは、ものすごく呼吸のことも意識しているじゃない?やっぱり、呼吸っていうのも体を緩ませる大きなポイントなんだなぁ、って改めて思った。
k  動きと呼吸を調和させるということはものすごく大事なことで、例えばこういう動きをする時に息を吸ってしまったら逆に緩まなくなってしまう、なんてこともあるんだよね。基本的には、吐いた時に緩み、吸った時に緊張するっていう単純なメカニズムがあって、そのメカニズムを上手く利用してストレッチをすればとても効果的なんだよね。そして、そこにさらにイメージを付けるともっと効果的になってくる。
t  そうそう!そのイメージが楽しかった!例えば体の中を水が流れるように、とかっていわれると、本当にそういう風に感じられるし。
k  イメージを使うということは単純に右脳に働きかけているということで、そうすることによって考えるっていう意識がなくなるんだよね。よく“考えてやるな!”って言われるけど、それって左脳を使うなっていうことだからね。右脳は直感や感覚、全体性を司るといわれる所だから、右脳を使うことによって、体も全体の雰囲気の中で動けるようになってくるわけ。
t  なるほど。
k  それも人間の“イメージする”っていう時のメカニズムを利用しているわけなの。それプラス“気”の感覚が増してくると緩み感の“質”が変わってくるんだよね。だから“緩み”は奥深いんだよ。
t  確かに体が緩んでくると、太極拳などをやっている時に使う“気”ってどういう質のものなのかというのが実感しやすくなるよね。でも、そういう“気”ってそこに意識が入ったりするといきなり消えちゃったりする。
k  ははは(笑)そうだね。
t  そういう時に“何かしてやろう!”っていうような気持ちが働くと、いきなり今までそこに存在していたっぽいものが消えちゃうんだよね。だからどこか無意識のような状態にしておきながら、遠くの方でコントロールするようにしないとダメみたい。(笑)

 

(c) TSURUTAMAYU 無断転載・引用を禁止します。

| top | dialogue |