mayu tsuruta | kenji babasaki
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  ータンカとはお経を絵にしたものー
tsuruta  タンカというのはとても抽象的な真実のようなものを現実レベルにまで降ろしてきて、形にしたものですよね。厳選された構図の後ろ側にものすごい宇宙があるという。馬場崎さんはマスターペインターとしてタンカを描く際に多少、基本をいじることを許されているわけですが、厳選されつくしたそれをいじるというのは、そこにオリジナリテイーを出したいという気持からなのですか?
babasaki  うううん。タンカというのはあくまでもお経に描かれていることを絵にしているだけで、僕たちはそれにのっとって書いているだけなの。でも、お経には書かれていない部分もあるから、そういう所に関しては少し書き足したりしているかもしれない。けれども、基本は絶対に守らなければならない。そうじゃないとタンカとは呼べないから。だって、あの手の印相とか持っている物とかに意味があるわけでしょ。

t  では、他にはどんなところを変えているのですか?
b  うーん、例えば色合い、お経の中に赤とか青とか黄色とかあるでしょ?それをどんな青にしようとか、どんな赤にしようとか、そういうところだね。僕はやはり日本人だから日本の色が出てきてしまう。チベットの強烈な色は出せないよね。まあ、チベットでもカシミールよりか中国よりかインドよりかによっても色が違うし。インドよりなんかはやはりインドのヒンズー教の影響があるから強烈な赤とかが出てくる。ところが中国よりのアムドとかカムとかいった地域にはやはり中国の色が出ている。すごくきれいだよ。僕にはそっちの色の方があっている。ラサとかの強烈な色というのは好まないからあまり使わない。だから、そういうところにオリジナリテイーが出てくるのかもしれない。それから尊像の背景にある雲、山、川、海なんかは自由に描いても大丈夫。だから、あれだけしきたりがあっても結構オリジナリテイーが出せるんだよね。僕はこの様にある程度の制限がある中で自分が発揮出来る想像性の方が好きなんだよね。だって、制限があるっていってもものすごいもの。結局、本質がわかってしまえば関係ないんだよね。例えば、一本の線だけでも、熟練した人とそうでない人とでは全然違うからね。そういうことだと思うよ。自分自身を見たって昔描いた物と今のとでは全然違うからね。そこに進歩があるから面白いんだよ。もう行き着いてしまったら人間は死んでいるでしょ。何かやりたい、やりたいという、いい意味での欲望が、生きることに繋がっているんじゃないかな、と思うけど。僕の場合はそれがタンカだということがわかっているから幸せだよね。

t  タンカを描いている時はどういう状態ですか?
b  何にも考えていない。精神集中、こころの安定が大切だよね。メデイテーションはそういう意味でも必要。

t  タンカを描く前は必ずやっていますか?
b  うん、やるよ。ただ、それをやらないとタンカが描けないということではないけど。

t  どうしても雑念が入ってしまって描けないという日はありますか?
b  ない。

t  それはすごいですね。
b  描くときは絶対にその状態にまでもって行く。これは習慣だよ。毎日、毎日同じ事をやっているんだし。

t  描くときにドラッグを使ったりすることはありますか?
b  ないよ。ドラッグっていうのは色々な意味で手助けになるかもしれないけど、本当の意味で自分の中から出てきたものではないからね。なくなったらそれで終わり。ところが自分の中にきちんとしたものがあればいつでも出せるんだから、メデイテーションでそこまでもっていけばいい。ドラッグを使うなんていうのはものすごくレイジーな考えだよね。いつかは自分でやらなければならないんだから。

t  日本に帰ってきた時に描いたりはしているんですか?
b  描いてないね。小さい作品はともかく、描けないよ。なぜなら時間が途切れるから。例えば電話がかかってきたりとか・・・。一回途切れてしまうと、また、途切れる前の状態にまで戻すのに時間がかかってしまう。そこからまた先へ進むとなると二度手間なわけよ。ものすごく非効率。インドだったら誰も来ないし、描き出したらずーっと描いていられるからね。日本で描かなければならなくなったとしたらきっと、違う絵になってしまうだろうなー。それに大作は描けない。日本でアートは無理。アーテイストには時間がないとダメだね。だって、アーテイストにとって創作活動は遊びなんだもん。楽しく時間を過ごす事を普通の人は遊びと言うでしょ?僕たちは、たまたまそれで食べていかれるから仕事と呼ばれているけど、僕にとっては遊びなんだよね。本当にやりたいことが出来るというその状況だけなの。だからサイコー!本当に幸せだよね。だって、みんな本当はやりたくないことをやってお金かせいで、そのお金をレジャーにまわして・・・。僕にとって、絵を描いていることはレジャーだからね。だから本当にタンカに出逢ってよかったなーって思う。時々、どうしてこんなことをやりだしたのかなーって振り返るんだけど、そうやって逆から自分の人生を眺め直してみると、やはり因果関係っていうのがあるんだと言うことがわかる。だから僕は因縁ということをすごく信じるし、仏教を信じているということなんだよね。だって自分が経験したことだから間違いがないでしょ。だからこそ、お釈迦さんが言っていることをホントだ、ホントだって聞けるんだよね。うなずくことばっかり。だけど、日本にいる人たちなんて自分を見ることなんて出来ないでしょ?時間がなくて。本当に何をやるんでも難しいよね。時間っていう貴重さを自覚している人が少ない。みんな自分の人生が一日一日減っているんだっていうことを自覚していれば、無駄に過ごせないでしょ?くだらないことばっかり。でも、まあ、お釈迦さんばっかりの世の中なんて出てくるわけないけど・・・。そうそう、カイラスっていう所はすごい所だよ。本当に精神性を求める人にとってはいいところ。だって、あの場所は本当におかしい、地球じゃないよ。チベット人やヒンズー教の人達にとっては、日本の須称山に匹敵する位。行ってみるといいよ。行くの大変だけど、なんか違うスペースだから。あそこまで行って、あれほど肉体が苛まれると精神が見えてくるよね。苦行っていうのはそういうことなんじゃないかな。僕は肉体を忘れた精神性というのはおかしいと思う。仏教では精神だけを遊離するのではなく、絶対に肉体と精神は同時に考えるからね。存在しているってそういうことでしょ?それを取り違えている人が多いと思う。なんでもバランスだよ。ダライ・ラマ法王もいつもおっしゃっているけど極端になってはいけない。変に片方に偏ってしまうとおかしくなってしまう。法王はけっして物質社会を否定しているわけでもないしね。よくインドに出てきてよかったっておっしゃっている。それはこうやって物質社会というものが見れて、そこにいる人々が見れて、そしてそこで苦しんでいる人々が見られるからって。チベット人の人々は物がなくて大変だけど、きっと西洋人の人達よりも精神的にはhappyだろう、って言っていた。

 

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